私達の軌跡

STORY

弟の上田琉世(左)と兄の上田颯大(右)
弟の上田琉世(左)と兄の上田颯大(右)

"できない"を"できる"にする


そもそも最初のスタート自体が大変でした。

 

当時サラリーマンの私はテレビでF1を見ていました。長男颯大がそれを見たときに「これにのりたい。」と言ってきたことが始まりです。

 

モータースポーツはお金がかかるスポーツで、それをさせてやれる余裕もなかったのです。「そんなん無理やって・・」と最初は言いましたが、若干4歳という年齢の子供に、やる前から無理なんて教えてどうするんだ?とハッとしました。

 

やってみて無理かどうかを判断すればいい。そう思ってカートスクールを探し、体験と実習を経てついに自分たちのカートを買うに至りました。

 

最初は中古のカートで、13万円で購入しました。妻に頼み込み、家の貯金からお金を出して購入し、貯金の13万円はコツコツと返済していきました。

 

同じタイミングで当事業のULTIMO HANDMADE MARKETでの木工作品の販売が伸び始め、昼はサラリーマン、夜は木工活動というスタイルになりました。でも全く辛くはなく趣味をしながらお金を稼げるという感覚でした。そして3カ月程度で返済を完了することができました。

 

この時から「"できない"を"できる"にする」というコンセプトが始まったように思えます。


ドライビングの基礎を作ったキッズカート


マシンを購入した後は、装備なども揃え毎週末練習に行くようにしました。当時在籍していたケイズガレージには同世代のドライバーがたくさんいたので、みんなと切磋琢磨し、運転の基礎の荷重移動やブレーキング、バトルの練習などをして練習に励んでいました。

 

そしてキッズカートのレースにも参戦をし、初めてのレースではトップから2周遅れという結果でしたが、練習とレースを重ねるうちに入賞や表彰台に乗るという事も経験できるようになりました。

 

弟もこのあたりから兄に刺激され少しずつキッズカートを乗るようになっていきました。


カデットクラスへのステップアップ


キッズカートをやって約3年と少しが経った頃、違うクラスでレースをされてる方から「カデットにステップアップしてみませんか?」と声をかけていただきました。

 

キッズカートのドライビングも定着し、本当のカートの技術はカデットクラスから鍛えられると教えていただき、迷いはしましたが、その方が余っているカデットのマシンを譲ってくれてカデットの練習をしていくことを決断しました。

 

カデットというクラスは40ccのキッズカートのエンジンとは違いYAMAHA KT100エンジンを使用するカテゴリーでマシンもキッズに比べて大きくなるクラスです。


垣江監督との出会い


カデットにステップアップしてからは垣江監督が指導してくれるようになり、約1年を「感性を鍛える」というテーマで練習に取り組み始めました。

 

垣江監督は過去に世界戦を戦ったり、サーキットのレコードホルダーになるなど、スーパードライバーの1面も持ちながら最高のメカニックの技術も持ち合わせています。

 

本格的にカートに乗った本人にしかわからない目線での指導は、若干小学校低学年のドライバーにも、吸収できるみたいで、熱心に監督の話を聞いています。

 

私はメカニックとマネージメントの指導を受け、颯大はドライバーとしての指導を受けています。


トラブルとの闘い


もともとマシンのメカニックなどやったことのない私でも、カート活動を続けるうちにマシンを触れるようにはなっていきました。しかし思わぬ悲劇が発生します。

 

弟の琉世は2021年8月にキッズカートの全国大会に挑戦しました。その1週間前のレースでフレームが3か所折れるという事象が発生しました。中古で長く使ったフレームもいよいよ限界を迎え、40℃を越える灼熱のレースに参戦しました。

 

前日練習ではスプロケットが折れ、チェーンが外れる、エンジンマウントが安定しないなどの事象が起こり、やっとクリアできたと思ったレース当日は電気系のトラブルで公式練習、タイムトライアル、リタイアとまともに走ることさえ、できない状況でした。


キッズカート卒業へ


長い時期を支えてくれて最後のレースを終えたマシン
長い時期を支えてくれて最後のレースを終えたマシン

総勢26台のキッズカート全国大会の決勝は完走できるかとの勝負になっていました。中盤コースアウトしそうな危険なシーンもあり、2年前に兄の颯大がリタイアした過去もよぎる中、琉世はチェッカーを受けピットロードに戻ってきてくれました。

 

琉世を迎えに行こうとピットロードを走る私は、申し訳なさと、完走してくれた感謝と、プレッシャーからの解放で勝手に涙が出てきました。7歳の子供が大きな仕事をしてくれたという感動は今でも忘れません。

 

そして兄とあわせてキッズカート活動を支えてくれたマシンにも最後まで持ちこたえてくれて本当に感謝しています。

約4年の活動を終えて、私たちのキッズカートはこれで終了で、マシンも解体となります。

 

弟の琉世もカデットクラスへのステップアップとなります。


カート活動の休止


2021年の9月以降も颯大はレースに出場し、琉世は琵琶湖スポーツランドにてカデットの練習を重ねました。

 

しかし、2022年の年明けに先々の活動資金に陰りが見えたことにより、突如カート活動を休止する事態に見舞われました。

キッズカートから約5年、練習を重ね、レースに出てと続けてきましたが、2022年1月の練習を最後に、しばらくカートに乗れない状況になりました。

 

最後の練習でチェッカーが振られた後、ピットに戻ってきた颯大を見て、僕は申し訳なさと情けなさと寂しさを隠すことができず、目頭が熱くなりました。

 

いつ復帰できるかわからないですが、この時は二度とこんな経験はしたくないと強く感じたことも印象に残っています。

「いつか絶対に戻ってくる」という気持ちを持って2台のマシンを引き上げて帰路につきました。


ランニングトレーニングの強化


カート活動を休止する間も監督からは「体力を落とすことなく、ランニングは続けなさい」とのアドバイスをいただき、ランニングに力を注ぎました。

 

もともと近所を走るトレーニングをしていたので、小学校4年の颯大、1年生の琉世ともに5kmを走る体力はありました。引き続きランニングを続けて、いつカート活動に復帰してもしんどくない体力作りに専念しました。

 

ある程度の距離を走れることができるんだなと感じていたので、一度マラソン大会みたいなものに出たらどうなるんだろう?と思い、調べてみると地元の長岡京で「ガラシャロードレース」というオンラインマラソンがあることを知りました。練習を重ね、5kmにエントリーしました。タイム的にも25分台で走れたので、より大きな大会に出てみようと思い、2022年3月に「なにわ淀川マラソン」が開催されることを知りました。

 

そこから河川敷でランニングの練習を開始しました。河川敷は街中に比べ風が強く、視界が開けて自分のスピードが速いのか遅いのかわからない錯覚に陥り、なかなか難しいコースであることを知りました。

 

数回練習するうちに、それにも慣れてきて、レース前週には実際のコースをはしりに南方へ練習にいきました。


なにわ淀川マラソン大会への出場


2022年3月26日「なにわ淀川マラソン2022」が南方の淀川河川敷公園にて開催されました。

 

1年に数回開催される人気のマラソン大会で当日は朝から多くの人が来られてました。マラソン大会に出るのは初めてだったので、すごく新鮮な気持ちと、レーシングカートとはまた違った会場の雰囲気が非常に良かったのを覚えています。

 

レースは朝の8:40分にスタートしました。颯大と琉世は6歳から13歳の部のエントリーで14名程のランナーがいたと思います。

 

大人も子供も一緒に5kmにエントリーしているランナーが走り、みんな自分のペースを作り走っていました。2.5kmの折り返し後はゴールに向け残りの体力を振り絞ります。ゴール間近になると、大人も子供も必死に競り合ってる相手に負けまいとラストスパートをかけて最後の根性勝負みたいな光景でした。

 

僕たちは練習を課せ寝て上位を目指しましたがクラス内では7、8位で2人はゴールしました。

 

レーシングカートのレースではないですが、ランニングはランニングで貴重な経験ができたと感じた大会でした。


フェスティカ瑞浪での復帰戦


レーシングカートを休息した期間、仕事を頑張り、とても忙しい3月、4月を過ごしました。

 

活動資金に少しゆとりができたので2022年5月15日「フェスティカサーキット瑞浪第3戦」にエントリーをしました。約2、3ヵ月のブランクはあったものの、ドライバー自体は衰えておらず前日練習では13台のエントリーの中12番手のタイムでしたが、レース当日、フレッシュタイヤを履いて全体の2番手のタイムをマークしました。

 

復帰戦で表彰台が見えている状態でした。

しかし、迎えた決勝スタートで出遅れポジションを落としてしまいますが、周回を重ねるごとにラップを上げていく予定が6週目あたりに急にペースがどんどん落ちていきます。次々と敵車にパスされて気づけば最後尾で、更に離されて行きます。

 

原因がわからずチェッカーを受けてピットに帰ってくると右フロントタイヤのベアリングが走行中に破裂し、カラーなどがシャフトに焼き付いている状態でした。

スタートの技術とメカニカルトラブルに課題を残し、復帰戦は苦いレースとなりました。


颯大カデットクラス卒業へ


2022年は復帰戦後、フェスティカサーキット瑞浪のレースに数回参加し、10月からは琵琶湖スポーツランドのレースに出場しました。

 

しかし、復帰戦以降マシンの調子は上がらず、ブレーキやクラッチに問題を抱えていることに気づかず、レースを重ね、レースでは主に後方争いをするシーンが多くなりました。

 

カデットクラスへステップアップしてきた年下の選手にも抜かされたり、必死にバトルをするなど、元々同世代のドライバーたちは上位争いをする中、颯大は不本意なレースを重ねていきました。

 

再起をかけ、マシンの異常を修復し、エンジンやキャブレターもオーバーホールしたり、新品を導入するなどして「モノ」の状態を整えて12月の琵琶湖スポーツランド最終戦にエントリーしましたが、淡い期待は実を結ばず、最後はメカトラブルによりマフラーが脱落し、レース失格という結果になってしまいました。

 

そして、これがカデットクラス最後のレースとなりました。


ROTAX MAXエンジンとの出会い


2023年は颯大はカデットクラスを卒業し、マシンも大人と同様のサイズのフルザイズに乗り換え、エンジンをROTAX MAXエンジンを採用することにしました。

 

今までの空冷100ccエンジンのYAMAHA KT 100エンジンから水冷のイタリアのROTAX社のMAXエンジンで練習に入ります。

 

11月のフェスティカサーキット瑞浪で瑞浪市長杯に参戦。

レース結果は24台中22位と初のMAXレースで洗礼を受けて、これからMAXをもっと練習してレースに出ようと決意する年となりました


颯大はROTAX MAX CALLENGE瑞浪シリーズの参戦


2024年はROTAX MAX CHALLENGE瑞浪シリーズにフル参戦をすることとなりました。

 

MAXのレースは海外からもドライバーが参戦していて中国、韓国、マレーシア、アメリカなど様々な国からドライバーが集まる大きなレースです。

 

MAXのレースは土曜日、日曜日で2レースを行う方式で、金曜日にサーキットに入ってて前日練習、そして土曜、日曜とレースをします。

 

2泊3日の岐阜県瑞浪市の旅を経験し、レースでは昨年から順応は見せたもののまだ、0.5〜0.7秒足らず下位争いをするレースが続きました。


琉世は琵琶湖SLシリーズカデットクラスの参戦


2024年は琉世はカート活動を再開します。レースに出てみたいと意欲を示し、琵琶湖スポーツランドで練習を重ねます。

 

ある日の練習で最終コーナーに差し掛かった琉世を見ていた私は、ラインが少し大きいと感じました。すると次の瞬間です、最終コーナー出口からホームストレートに向かう途中で、マシンがタイヤバリアに激突し、ドライバーはマシンから飛ばされました。

 

マシンは修正できない形に変形し、あえなく廃車になりました。あらためてレーシングカートの危険性に気づいた瞬間でした。ほんとにあっと今の出来事でドライバーも私も驚きを隠せませんでした。幸いドライバーが怪我がなかったことが良かったです。

 

失ったマシンは使えませんがチームメートのマシンを譲ってもらいレースに参戦しました。

 

シーズンを終え、翌年も琵琶湖シリーズに参戦すると、気持ちが芽生えたシーズンになりました。


ROTAX MAX CALLENGE鈴鹿シリーズの挑戦


2025年は颯大はROTAX MAX CHALLENGE鈴鹿シリーズにJuniorMaxクラスでフル参戦します。

 

鈴鹿シリーズは鈴鹿サーキットの国際コースの脇にある南コースというサーキットでレースが行われます。

 

南コースは国際コースの主要なコーナーなどを凝縮したレイアウトになっており、本コースを走る前に感覚を養う目的もあるサーキットです。

 

鈴鹿シリーズも台数が多く、外国人ドライバーも多く参戦するレースです。内容としては前年の瑞浪シリーズより難しく予選落ちも含め結果を出すことが非常に難しいレースが続きました。

 

全5戦を参戦し、思うような結果が出ず、颯大と私は心が折れそうになりました。

そんなことを思い打ちひしがれて、最終戦ピットに戻ってくる颯大を待っているとき、ふと視線の先に一人の人物を見つけました。それはGTドライバーの山本尚貴選手でした。

 

颯大は幼稚園を卒業するあたりから当時RAYBRIGのGTマシンを運転する山本選手に憧れ、「なりたい」という強い気持ちを持っていました。

 

いつか会えると良いなと思っていましたが、まさかのタイミングで出会うことができました。

 

軽量を済ませて、急いで颯大を連れて山本選手に挨拶に行きました。山本選手はとても親切で30分ほど色々お話をさせていただき、「自分と同じヘルメットが走ってるな」と気づいていただけたみたいです。

 

本当にこんなことが起こるんだなと、不思議さの中にも縁を引き寄せる力を感じ、貴重な成功体験を生むことができました。

 

本当ならその日の昼からの決勝に進めれば良かったのですが、予選落ちをして、あこがれの選手に出会うという、ほろ苦い中の感動的な瞬間を私も人生初で経験しました。


琉世はカデットクラス卒業へ新たなステージへ


2025年は琉世は琵琶湖SLシリーズにカデットクラスで計3戦に出場しました。

 

ドライバースキルは少しずつ成長はしますが、やはり常時参戦しているドライバーにはなかなか届かず、レース日になると、その差は顕著でした。特に雨レースはスピンを繰り返し、練習不足が否めない状態でした。

 

通常練習ではカデットの上のクラスのSSクラスのマシンとエンジンで練習をして速さへの感覚を養うトレーニングもしました。

 

迎えた最終戦ではエントリーが3台という少し寂しい台数ではありますが、気を抜けば負けてしまうという、1位から3位しかない順位の争いは緊張感があり見ごたえのある内容のレースができました。

 

シーズンを終え、琉世はカデットクラスを卒業し、いよいよフルサイズのマシンでSS仕様のエンジンで来季に挑みます。

 

また私達はこのタイミングで約4年お世話になったカキエレーシングチームを卒業し、新たな体制を模索することを決意しました。


ウエダマッハソリューションrpハタ


2026年シリーズはカキエレーシングチームを卒業しウエダマッハソリューションRPハタというチームを作りました。

ドライバーは上田颯大と琉世の2人です。

そしてパートナーでハタさんがエンジンを見てくれています。